完全なる生涯

完全なる生涯204:不信のトマス

”Doubting Thomas”のあだ名で有名なトマス。「証拠を見るまで何も信じない人」を指して今でも使われる彼の名前。 この「不信のトマス」は、本当に証拠が無ければ、主の復活を信じることを拒んだのか?それとも、彼の不信の理由は他にあったのか?今回は、その疑問に目を向けつつ、四つの福音書を一つにして「完全なる生涯204:トマスも居る2階部屋で」を見ていきます。

復活した主を実際に見てその傷に手を差し入れなければ、イエスの復活を信じないと拒んだトマス。イエスを見た時の、このトマスの告白とは何か?

四つの福音書をまとめて、イエス・キリストの「完全なる生涯」として一つのストーリーに。福音書に記されている全ての言葉をまとめて、一つの福音書にしました。毎回、MacArthurスタディバイブルからの注解を日本語にして説明を加えています。前回「トマス不在の2階部屋で」からの続きです。


ヨハネによる福音書20章24-31節

十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。(*1)」と言った。

八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。(*2)」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。(*3)」

この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。しかし、これらのことが書かれた(*4)のは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。


*注

  1. エルサレムを巣窟とするユダヤ人指導者達にいのちを狙われるイエス。「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。(ヨハネ11:16)」とトマスは死を覚悟してエルサレム近郊のベタニヤまでイエスに着いて行こうとこの発言を。このようにトマスはイエスに忠実でした。また、そこにトマスのイエスに対する愛が描かれていたのです。トマスは弟子達からイエスが復活したと聞きはしましたが、実際に会って確認することなしには信じようとしませんでした。それは、トマス自身が、誤解して信じて、ぬか喜びして、後で間違いだと分かって、再び愛するイエスを失うような経験をしたくなかったのでしょう。ですから、イエスを実際に見るまで信じることができないようなこころの硬い者ではなく、彼は悲観的だったのです。それほど、トマスはイエスを愛していたということです。そのイエスはトマスの失敗を咎めることはされず、その代わりに、主の復活の証拠をあわれみを持って示してくださったのです。イエスはトマスの置かれた弱さのうちに愛を持って来て下さったのです。また、イエスが弟子達にご自身が復活されたことをこのような方法を持って説得しなければいけなかったことを、トマスの反応は示しています。つまり、弟子達は、復活を信じる傾向にある騙されやすい人達ではなかったということです。弟子達は目に見える証拠を持ってしても信じようとしなかったことからも、復活は弟子達のでっちあげの作り話しや幻覚でもなかったということです。
  2. 私の主。私の神。:これらの言葉をもって、トマスはイエスの復活と、そして、キリスト(旧約聖書から預言されていた油注がれたイスラエルの王)であり神の子であるイエスの神性への硬い信頼を宣言したのです(テトス2:13)。これは、人が口から出すことのできる最も偉大な告白なのです。このトマスの告白は、ヨハネがこの福音書を書いた目的を締めくくるのにふさわしいものです(ヨハネ20:30-31)。
  3. イエスはトマスが受けたような(復活の)疑う余地のない証拠が、他の者には与えられない時が来ることを前もって知っていました。イエスが天に昇られ父の右の座に座られた後には、全ての者は復活した主を見ることなしに信じなければいけないのです。イエスはトマス達に与えられた特権を持たずに信じる者に対して、特別な祝福を述べておられます(1ペテロ1:18)。
  4. これらの節はヨハネが福音書を書いた目標と目的を成しています。

もし、少しでも祝福となりましたなら、是非ともシェアして下さいね。

次回は、「私は漁に行く」です。

参考資料

  • John MacArthur. The Upper Room with Thomas Present, One Perfect Life. P482
  • 新改訳聖書 (1965年版)

カナダのビクトリアにある、ビクトリア日系人教会で初めて聖書を。その後、聖書の教えるイエス・キリストの福音を知り、現在はビクトリアのダウンタウン近くにあるBeacon Churchへ導かれました。私たちは、4人の子宝に恵まれた日本人のクリスチャン家族です。ビクトリアに住む日本人/日系人の為の教会案内にも目を通して下さいね。


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