神学, 福音, 恵みの教義

奴隷6:主が求めることと、義認と聖化と律法主義

「神の戒めを守らなければいけないなんて、律法主義じゃないですか?クリスチャンは律法の下ではなく、恵の中に入れられ、奴隷ではなく自由にされたのです!」と言われる方が沢山おられます。今回は、多くの誤解がある、義認、聖化と律法主義について触れていきます。また、神が買い取られた奴隷に、神は何を求められるのかについて、キリストと信徒の関係の2つ目の特徴を見ていきます。

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奴隷5:キリストに買い取られた者

キリストを信じて従うということは、自らがキリストの奴隷となるということです。このギリシャ語で奴隷の意味であるduolosという言葉は、キリストとクリスチャンの関係を表現する時に最も頻繁に使われる言葉です。残念ながら、日本語や英語の聖書では、「しもべ」と誤訳されていることを見てきました。前回の奴隷と主人と福音のおろかさから、奴隷の対義語である主人という言葉にフォーカスを置いた後、これらの言葉の理解がどの様に今の時代の福音宣教に影響を与えて来たかを見ました。今回からは、この主人と奴隷の関係を学ぶ事によって、キリストと私たちの関係について、この上もない祝福となる、クリスチャンの特徴である5つの真理を、聖書から見て行きます。

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奴隷4:奴隷と主人と福音のおろかさ

「私達は神様から見てダイヤモンドのように価値があり、かけがえのない存在です。」これは、ビクトリアにあるプロテスタントの教会の福音の紹介文です。主イエス、またパウロなどの使徒たちが、もしこのような福音宣教をしていたら、果たして迫害を受けたり、十字架の上で殺されたりされたでしょうか?そこには、十字架、罪、さばき、神の怒りなどの福音の核に直接つながる理由は2次的なものとして扱われ、ただ神の愛にのみフォーカスが置かれています。このような福音宣教は聖書に忠実なのでしょうか?この福音の理解が生まれた理由の一つとして、今回はその説明を踏まえつつ、この奴隷シリーズを見ていきます。

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奴隷3:奴隷としもべの大きな違い

「奴隷だって?奴隷もしもべも、主人に仕える人なので同じ意味ですよ!そんな不快な呼び方は、聖書の書かれた当時のクリスチャンにだけ当てはまるのではありませんか?」と言われる方もおられるかもしれません。前回、「奴隷2:本来の意味と誤訳の由来」でdoulosというギリシャ語の言葉が、奴隷という意味しか持ち得ないこと、また、この言葉が聖書の中で誤訳された由来について見ました。今回は、奴隷としもべの意味の違いについて触れてから、その奴隷の身分は当時のクリスチャンにだけ当てはまるのかを見て行きます。良ければシェアしてくださいね

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奴隷2:本来の意味と誤訳の由来

「あれっ??『キリスト・イエスの奴隷であるパウロとテモテから』?私の聖書では「ここは『しもべ』とありますよ!」と言われる方がいらっしゃるかもしれません。果たして、その日本語訳は正しいのでしょうか?前回、「奴隷1:聖書の誤訳と真理の隠蔽?」でdoulos(デゥロス)というギリシャ語の言葉が誤って「しもべ」と訳され、本来の意味である「奴隷」という言葉が、私たちクリスチャンの目から400年以上も隠されていたことをみました。今回は、このdoulosという言葉が持ち得る意味に触れて、本来の意味が「奴隷」であるという根拠と、「しもべ」と訳された由来について見ていきます。

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奴隷1:聖書の誤訳と真理の隠蔽?

真理の隠蔽?ロシア語では正しく訳されているにも関わらず、英語や日本語の聖書では、あえて誤った言葉が使われている、その誤訳とは。過去500年間の間、多くのクリスチャンの目からは隠されていた真理とは?ギリシャ語とヘブル語の辞書を調べれば明らかになるこの誤りとは一体何か?ここから神とクリスチャンの関係を見直し、福音と聖書全体の理解を深めて行くシリーズの第一回目。祝福となりましたら、是非ともシェアしてくださると嬉しいです!