聖書

キリストを知る:聖書の読み方ステップ2解釈パート4:四つの原則1

「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。(詩篇34:8)」聖書はすべて神の誤りなきことばです。この聖書の究極的な著者である神が意図したことが、聖書の正しい意味です。聖書を正しく解釈して初めて、神が教える真理を理解し、神がどのような方かを知っていくのです。また、イエス・キリストの福音の計り知れない恵みの深さを探りつつ、主のすばらしさを味わうのです。そして、私たちの人生の目的である、神の栄光を現し、神ご自身を喜ぶことを経験していくのではないでしょうか。その為にも、今簡単な聖書の学び方シリーズをしています。以前に聖書を読んで解釈する上で、よく陥ってしまう誤りや、越えなければいけない四つの溝を見ました。今回は聖書を読んで解釈をする時に覚えておく四つの原理の内の3つに軽く触れたいと思います。

理解すべき原理

1.The Literal Principle:

みことばは、新聞や本を読むように、文字どおりに普通に読んで理解されるべきです。歴史は歴史として、詩は詩として、物語は物語として読みましょう。比喩的表現やシンボルを多く含みますが、それらは、文字どおりの真実を、例えを使って伝えようとしているのです。ですので、みことばの中から、隠された意味を探ったり、聖霊なる神の特別な働きかけを求め、自分だけのメッセージを探る必要はないのです。聖書は普通のことばで私たちに語りかけているので、ただ、神が聖書を通して語ることをそのまま聞く必要があるのです。

2. The Historical Principle: 歴史的原理

聖書は2千年以上も前に、ユダヤ人に対して書かれた書物であることを忘れることはできません。その為にも、みことばが、書かれた当時の人々にとって、どのような意味があったのか理解しなければいけませんよね。ですので、以前の投稿の「越えなければいけない4つの溝」がある事を覚えて、歴史的な文脈にそって読んでいく必要があります。解釈の仕方によっては、福音の理解にも影響を及ぼします。その例として、申命記6:5:ユダヤ人の認識する「心」や「イエスを主と告白する」などを以前の投稿で簡単に触れました。

3. The Grammatical Principle: 文法の原理

原語の文法の構成を理解する必要があります。例えば、代名詞は誰や何を指しているのか、動詞の時制は何かなどです。これらを理解することによって、聖書箇所の書かれた意図が明らかになるはずです。

例えば、2ペテロ2:20を見てみましょう。「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。」この箇所を読んで、一度救われた人が救いを失うと教えている、と思われる方がいます。しかし、文脈と文法に従って、ここの「そのような人たち」を指している言葉は、2章の1節にある「にせ教師」であることがすぐに判ります。文脈を無視して聖書の一箇所だけを解釈することはできません。また、ここでは触れませんがヘブル書6章と10章も、書かれた背景を学べば、聖書全体の教えに沿った納得のいく解釈があります。神の選びによって救いの恵みに与った者は、その救いを失うことは決してないと聖書で一貫して教えています。それは偽ることのできない神ご自身が、永遠の昔に約束してくださったからです(テトス1:1-2)。すなわち、父なる神が、最愛の御子イエスの栄光のために、文字通り時間の始まる前から、ある人たちを選び救いに定め、世から取り出して与えるという約束です(ヨハネ17章)。もし、一度信じて信仰を失った者と言う者は、自分が信じたと思い込み、初めから救いの恵みに与っていなかっただけのことです。ただ、マタイ7章にあるような「主よ。主よ。」と口で告白するだけの者なのです。1ヨハネ2:19で「彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。」とある通りです。そして、キリストにあって新しく生まれた者は、必然的に良い実を結ぶのです。つまり、良い木は良い実を結ぶのと同じように、本当の信仰には良い行いが伴うのです。

結論

例えば、私たちが愛する人たちに手紙を書く時、伝えたい真の意味がありますよね。その意味を、手紙を受け取る読み手が勝手に決めることはできません。読み手は、まず手紙を送った送り主のことを知っておかねばなりません。そして、なぜ送り主がそのような手紙を送ったのかという理由と、読み手自身が置かれている状況を元に、その手紙の内容を読んでいきますよね。それと同じように、誤りなき神のことばである聖書を読む際も、まず神がどのようなお方なのかを聖書を通して知り、また、書かれた当時の人たち(読み手)が置かれていた背景を知ることによって、神が私たちに伝えようと意図したことを正しく理解することができるのです。その神のご人格について知るべきことは、聖書しかありません。自分の先入観や聖書以外の世界観を持って聖書を解釈していくのではなく、神のことばである聖書の世界観を持って読んで解釈していかなければいけません。その為にも、21世紀の日本に住む私たちが聖書を読んで解釈する時に、覚えておかなければいけない四つの聖書解釈の原則の内、三つについて軽く触れました。また、以前に見たように、神のことばである聖書は、聖霊を通して私たちに与えられたものです。 この聖書が書かれた大きな理由の1つはイエス・キリストにある恵み深い神の救いの計画を、滅び行く罪人である私たちに教える為です。つまり、聖書のテーマはイエス・キリストとその福音なのです。以前の投稿でも見たように、誤って聖書を解釈することによって、聖なる神ののろいの下にある罪人を神の怒りから救うことのできない、聖書にはない他の福音を作りあげてしまうかもしれません。また、三つ目の原則で軽く触れたように、一度救われたものは、その救いを失うことはない、という救いの本質をも変えてしまうことさえあります。このような福音は神のご栄光を現すものでもなく、私たちが神を知り、その神を喜び、正しく礼拝することもできません。また、救い主なる主のすばらしさを味わい、見つめることもできません。その為にも、聖書を正しく読んで解釈していくことは、神の恵みによって救いに与った私たちに大切なことなのではないでしょうか。

もし良ければ、シェアをしてくださると嬉しく思います。栄光在主


参考資料

• The MacArthur Study Bible

• The Reformation Study Bible


Cover Point。今日2018年8月20日。特に山火事の煙のためか、近くのものもとても霞んでいました。視界がとても悪かったです。
対岸に見える山も全く見えませんでした。

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