「玉子と鶏どちらが先か?」これは、進化論でお馴染みの疑問ですが、キリスト教にも似たような疑問があります。それは、「信仰と新生どちらが先か?」というものです。つまり「信じたから新しく生まれるのか」それとも「新しく生まれたから信じるのか?」というものです。今回はその疑問に目を向けつつ、どのように人は、新しく生まれるのかという大切なトピックに触れます。「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」とヨハネによる福音書3章3節から、みことばの糧をビクトリアからお届けします。「みことばの意味がみことばである」をモットーに、聖書は神の誤りなきことばという見解に立つMacArthurスタディバイブルの注釈を日本語訳にしています。良ければ、日本語と英語で、Logos bible appsのイラストと一緒にご賞味下さい。また、シェアして下さると嬉しいです。
イエスは答えて言われた 。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
Jesus answered him, “Truly, truly, I say to you, unless one is born again he cannot see the kingdom of God.”
新しく生まれる:この表現は文字通り「上から生まれる」という意味です。主はニコデモが尋ねていない質問にさえ答えられました。主はニコデモのこころを読まれ、彼の持っている問題の核心に触れられたのです。つまり、(神の御国に入るには)霊的な変革、もしくは聖霊なる神によって生み出される新生の必要性です。新しく生まれること、つまり新生とは永遠のいのちを信徒に与えられる神の御業なのです(2 コリント 5:17; テトス 3:5; 1 ペテロ 1:3; 1 ヨハネ 2:29; 3:9; 4:7; 5:1, 4, 18)。ヨハネ1:12-13節によると、新しく生まれるとは、人となられたことば、つまりイエス・キリストの御名を信じることによって神の子どもとされるという概念を含んいることを、ここでは示唆しています。MacArthurスタディバイブルより
人が神の救いに預かるために、「信じる決断をして新しく生まれる」と以前の僕自身と同じように、今も多くの方が、誤解されている方がいます。「信じる」という正しい行いを、罪のために堕落して罪の中に死んでいる人が一体できるのでしょうか。エレミヤ13:23で、「クシュ人がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行うことができるだろう。」とまであります。善を行う者は一人もいないのです。また「悟りのある人はいない。神を求める人はいない。」(ローマ3:11)とあるのに、どうして生まれながらの人が神を信じる決断をできるのでしょうか。「神の主権は人の自由意志には及ばない」という概念は聖書にはありません(ローマ9章)。風がどこから来てどこへいくのかを人が支配できないように、御霊なる神によって新しく生まれること(新生)を人が自分の意思で決めることもできません。新しく生まれたからこそ、信じることができるのです。死人が神の声を聞いて生きるのです。盲人の目を開いてくださりキリストのご栄光を仰ぎ見ることができるのです。「悔い改め」の心も「信仰」も神からの賜物なのです。ですから、神の主権的な恵みのみによって人は救われるのです。「人の救いを最終的に決めるのは人の自由意志である」と信じるのと、「神が霊的に死んだ状態の人にいのちを与えて新しく生まれさせて、神を信じることができるようにしてくださる」と信じるのでは、主権者なる神のご性質の理解や福音の恵みの性質も大分と変わるのではないでしょうか。(キリストを知る:聖書の読み方編ステップ2解釈パート2:越えるべき溝1から抜粋)
ちなみに、この教えは、宗教改革で始まったプロテスタントの福音の理解からきている、一般にカルバン主義と言われるもので、人の自由意志で救いの決断をするというアルミニウス主義/半ペラギウス主義と言われるものとは異なります。このカルバン主義自体、カルバンやルターが作り出した教えではなく、初代教会、弟子達、主イエスご自身、そして旧約聖書からも見られる教えです。
John 3:3 (MSB): born again. The phrase lit. means “born from above.” Jesus answered a question that Nicodemus does not even ask. He read Nicodemus’ heart and came to the very core of his problem, i.e., the need for spiritual transformation or regeneration produced by the Holy Spirit. New birth is an act of God whereby eternal life is imparted to the believer (2 Cor. 5:17; Titus 3:5; 1 Pet. 1:3; 1 John 2:29; 3:9; 4:7; 5:1, 4, 18). Chapter 1:12, 13 indicates that “born again” also carries the idea “to become children of God” through trust in the name of the incarnate Word. The MacArthur Study Bible

今の時代、多くの方が福音の核となるメッセージをシェアする事ができないそうです。何故、イエス・キリストは十字架の上で、罪の為に死なれる必要があったのか?誰の為に死なれたのか?宗教改革で再発見された福音も20世紀に入り再び多くの教会で見失われている時代です。その中でビクトリアから、聖書の核となるメッセージ、イエス・キリストの福音お届けします!