すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
Matthew 11:28–29 (ESV): Come to me, all who labor and are heavy laden, and I will give you rest.
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい:この箇所には、マタイ5章3節にある「心の貧しい者は幸いです」という最初の八福の教えが反映されています。この招きは、聞く全ての人に対してである事に注目して下さい。しかし、自らの霊的破綻(神の前に罪を犯し、返済しきれない負い目を負っている事)と律法を守る事で自分自身を救い出そうとする担いきれない負担を、背負って苦しんでいる者だけが、この招きに応えるような言葉使いがなされています。主権的に神が与える霊的覚醒がなければ、罪深い人間の神に対する謀反の頑なさは、全ての罪人が自らの霊的な貧しさの深さを認めようとしない、というところにあります。ですからイエスは27節(下記参照)で、私達の救いは主権的な神の働きによるものであると言われたのです。しかし、27節の神の選びの真理は、28節から30節(下記参照)にある全ての人に対する無償の招きに矛盾するものではありません。休ませてあげます:律法を守る事によって自分自身を救い出そうとする、終わりなく、無益な努力から(ヘブル4:1–3, 6, 9–11参照)。これは、人の行いではなく、神からの救いの恵みにおける永続的な休みを指しています(30節)。
このイエスが招かれている福音とは何か?良ければ、こちらの「聖書の核となるメッセージ」をご覧下さい。
Matthew 11:28–29 (MSB): Come to Me, all you who labor and are heavy laden. There is an echo of the first beatitude (5:3) in this passage. Note that this is an open invitation to all who hear—but phrased in such a way that the only ones who will respond to the invitation are those who are burdened by their own spiritual bankruptcy and the weight of trying to save themselves by keeping the law. The stubbornness of humanity’s sinful rebellion is such that without a sovereignly-bestowed spiritual awakening, all sinners refuse to acknowledge the depth of their spiritual poverty. That is why, as Jesus says in v. 27, our salvation is the sovereign work of God. But the truth of divine election in v. 27 is not incompatible with the free offer to all in vv. 28–30.
11:29 you will find rest. I.e., from the endless, fruitless effort to save oneself by the works of the law (cf. Heb. 4:1–3, 6, 9–11). This speaks of a permanent respite in the grace of God which is apart from works (v. 30).
11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。 11:27すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
「完全なる生涯」と題して、イエス・キリストの、人としての地上での歩みを、1つの福音書としてまとめるシリーズを始めました。また、「みことばの糧」と題して、聖句の簡単な説明と共に、みことばの糧をビクトリアからお届けします。「みことばの意味がみことばである」をモットーに、聖書は神の誤りなきことばという見解に立つThe MacArthur Study BibleやThe Reformation Study Bibleの注釈を日本語訳にしています。日本語と英語で、Logos bible appsのイラストと一緒に味わって下さい。
カナダのビクトリアにある、ビクトリア日系人教会で初めて聖書を。その後、聖書の教えるイエス・キリストの福音を知り、現在はビクトリアのダウンタウン近くにあるBeacon Churchへ導かれました。私たちは、4人の子宝に恵まれた日本人のクリスチャン家族です。ビクトリアに住む日本人/日系人の為の教会案内にも目を通して下さいね。
