福音, 伝道

聖書の核となるメッセージ

教会に行くと福音(Gospel)ということばがよく出て来ます。新約聖書の最初の4冊にも福音と付けられています。また、日本語でもゴスペルシンガーなど、このことばを耳にされた方も多くいるはずです。ビクトリア日系人教会に参加していた時には、「ゴスペルフラ」というフラダンスまであったことに驚きました。しかし、福音とは一体何なのでしょうか。ギリシア語の意味は「良い知らせ」です。沢山のクリスチャンの方がこの「福音」を「神様は私たちを愛して下さり、素晴らしい計画を持って下さっています。」と理解されています。また、「神様が私たちの持っている様々な問題を解決してくれる」、「一人の時も一緒にいつもいてくれる」、「人生の目的を与えてくれる」というようにも理解されている方もおられます。

けれども、福音は、上記のようなものではありません。それらは、二次的な恵みに過ぎず、それだけでは福音の核に触れられていません。また、「イエス様が私たちの罪の為に死んで下さった」と言われますが、「何故罪の為に死なれなければいけなかったのか」という理由を、教会に来られる大多数の方が説明をすることが出来ないのが現状です。

この世の旅路を終えた時、神に「何故あなたを天国に入れなければいけないのか」と仮に質問をされたとすれば、どのように答えますか。主にあって救いの恵みにあずかった者は、声を揃えて同じことを言うでしょう。もしその答えが、「イエス様を信じているからです」と答えて、それ以外に何も言えないのであれば、イエスを信じる自分の信仰を信じているだけかも知れません。どのような劇的な体験をしたとしても、イエス・キリストの福音を理解することなしには救われることはありません。多くの人が終わりの日に「主よ。主よ。」とキリストに言うが、「わたしはあなた方を全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け」と言われ、滅びてしまうとマタイの福音書7章で警告があります。この様な警告をしてくださるのは、神が私たちを愛して下さっているからです。私たちが滅びることを決して喜ばれないからです。イエス様を信じたと思いこみ、砂の上に家を建てて、裁きの時に真理を知らされること程恐ろしい事実は無いでしょう。このようなことを書くのは厳しいかも知れませんが、それは、誰一人として滅びて欲しくないからです。イエス・キリストはご自分の愛を示して死んで下さいました。聖書ではっきりとご自身を示された、そのキリストの愛と福音を知って欲しいのです。何故、天国に入れてもらえるのか、その答えが福音です。

皆さんは「福音とは何か」と尋ねられたら、どのように答えますか?一言で言うと福音とは「イエス・キリストとその御業」です。聖書のみことば1節で言うと、「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方あって、神の義となるためです。」(2コリント5:21)です。少し長くするとローマ書3章21ー26節です。これが福音の核となるメッセージです。簡単な説明文を以下に入れておきます。

聖書では、唯一まことの神がこの世界を無から造られたと教えています。この神は、全く正しく善であられます。聖であられる神は私たちの行いだけでなく、言葉と心の思いをも計られる方です。この方の前に私たち人は、嘘をついたり盗みを働いたりと行いにおいて、また、人をののしったりと言葉において、さらに、人を妬んだり憎んだりして心においても罪を犯し、悪を行ったと聖書にはっきりと書かれています。善であられる神は、この悪をただ見過ごすことは出来ず、必ず正しく裁き、私たち罪人を滅ぼされると聖書のみことばを通して、また主ご自身も何度も警告をしています。その一方で、このように神に対して罪を犯した私たちを、一方的な御好意によって救ってくださる天地の創造主なる神の愛についても教えてくれています。それは、あわれみと恵みに満ちた神が、そのひとり子イエス・キリストをこの世に遣わされたということです。神御自身である方が、へりくだって処女マリヤを通して一人の人として生まれたのです。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ(ヘブル1:3)」である方です。このイエス・キリストは、二つのことをその生涯においてして下さいました。一つ目は、罪を全く犯されず、私達が守ることの出来なかった神の戒めを完全に守り通して下さったことです。二つ目は、罪を犯した私たちの受けるべき当然の神の怒りを、十字架の上で私たちの身代わりとなって受けて死んでくださったことです。そして、キリストは死に打ち勝たれ、三日目によみがえり、天に昇られ、父なる神の右の座につかれました。誰でも、罪を悔い改め(このような神に対して行った罪を悲しみ、罪を憎んで捨て去ること)、また、キリストのみを、創造主なる神の激しい御怒りの裁きから救って下さる唯一の救い主と信じるなら、罪が許され神の前に義と認められると約束されています。

クリスチャンが天国に入ることが出来るのは、イエス・キリストが、彼に信頼する者のすべての罪を背負って、十字架の上で神の怒りを身代わりとなって受けて死んで下さり、そして、キリストの正しさで私達を覆って下さったからです。神との和解、そして罪と義の転嫁。これが、第2コリント5章21節で教えていることであり、イエス・キリストの福音です。

詳しくは、こちらからイエス・キリストの福音のトラクトを見てみてください。また、福音の恵みが恵みである為に、神の主権的な恵みの教えについて少しずつ見ていきたいと思います。聖書で教える、神について、人について、イエス・キリストの御業について見ることによって、恵みの深さの理解が増して、神様のことを褒め称えずにいられなくなると思います。この福音をシェアして、またフォローして下さると嬉しいです。

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