聖書

キリストを知る:聖書の学び方編ステップ1読む

仲の良いおしどり夫婦の関係の秘訣は健全なコミュニケーションだそうです。会話をする時、伴侶の話しをしっかりと聞いて、相手の伝えたい内容を正しく理解することは、とても大切ですよね。こうして、相手を知って、その人の求める方法で愛して、より良い関係を築いていくことができますね。けれども、その一方で、自分に都合の良いことだけを聞いて、相手が伝えたいことを考えもせずに好き勝手に理解をしたら、その関係はどのようになるでしょうか。破綻に終わらなくても、決して良いものにはならないでしょう。私たちの神との関係も同じことが当てはまるのではないでしょうか。聖書は神がご自身を現す為に私たちに語りかけているものです。聖書を通して、神がどのような方であり、何を喜ばれるかを知るのです。また、神の絶対的なきよさと正しさを教え、それに反して生まれながらにして罪ある者である私たちが、神の前に立ちえないことを教えてくれる唯一の書物です。全ての人が神の怒りとのろいのもとに置かれていること、そして私たちを救う為にご自分の御子を私たちの罪の代価として送ってくださった神の愛についてを知ることができるのも聖書だけです。また、私たちの霊的成長にも欠かすことのできないものでもあります(ローマ12:2、1ペテロ2:2)。

その聖書を読んで学ぶ時、私たちは、自分の思うように読み取るのではなく、神が意図して語られた意味を正しく理解する必要があります。人が書いた手紙の意味は、受け取った人が決めるのではありませんよね。書き手がその意味を決めます。それとある意味、同じです。この聖書の解釈を誤ってしまった例が、聖書にも出てきます。その良い例が、パリサイ派や律法学者の人たちではないでしょうか。律法学者たちは神の正しさを知らないが故に自分たちの行いを通して神の前に正しいと認められると聖書を理解していました(ローマ10:3)。そして、自分たちの理解に従って神の戒めを守る為に、聖書がそもそも教えていないことを神の教えとして教えるようになったのです。そのことを主は、山上の説教でも指摘しています。例えば、マタイ5:27ー28で主はこのように言われました。「『姦淫してはならない。』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、わたし(イエス)はあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」つまり、神のみことばを表面的にとらえ、その戒めを守るには行動のみで十分だと捉えて聞いていた人々に対して、主は心で情欲を抱いた時点で既に戒めを破って罪を犯していると、神のことばの本来の意味を教えました。主は、新しい教えを教えたのではなく、旧約聖書から一貫して教えていること、すなわち神は人の心を探り見極められる方であることを言われたのです。神がきよく正しい方であること、そして人の性質がいかに罪深いかを改めて教えられ、悔い改めてキリストを信じるように福音を宣べ伝えたのです。

私たちは主が聖書を読んで理解されたように、神が意図する聖書の意味を読んで学ばなければいけないのではないでしょうか。その為には、私たちは実際にどのように読んで学べば良いのでしょうか。この聖書の学びシリーズ最後のトピックとして、聖書の基本的な学び方を何度かに渡って見ていきたいと思います。聖書を学ぶ為のステップは、1. 読む、2. 解釈する、3. 評価する、4. 応用する、5. 相互を関連付ける、そして、6. 思いにふけるといったものです。今回は聖書をしっかりと学ぶ為に、まず読み方について見たいと思います。

基本的な聖書の学び方

ネヘミア8:8「彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した」

ステップ1: 読む

今までの投稿で、これまでに、聖書は誤りなき神のことばであることを見てきました。そのことに確信を持っていても、実際に手に取って読まなければ意味はありませんよね。神を知る為にどのように聖書を読まれていますか。そこでまず最初のステップは聖書を読むことから始まります。バイキング料理のように、好きな物だけをつついて食べるのは避けて、栄養バランスをしっかりと考えて作られた食事を毎日食べるように、書簡ごとに、初めから終わりまで毎日読んでいくことが大切です。しっかりと消化する為に、よく噛んで食べなければいけないように、さっと流し読みするのではなく、読む箇所のテーマとその中心の真理を理解するまで何度も読み返すことが大切です(イザヤ28:9-10)。

できれば年に一度は旧約聖書を読んで、わからない所は別の紙に書き出すか余白に印を付けます。「聖書の理解は聖書から」とあるように、読み進めるうちに、別の箇所で説明がされて、次第に解らない所が減っていくことに気がつくと思います。

これは僕自身のチャレンジともなりますが、新約聖書の場合は同じ書簡を一ヶ月毎日初めから終わりまで全部、繰り返し読んでいきます。章ごとにテーマをカードなどに書き出して纏めていくのも良いでしょう。こうして次第に内容を覚える事ができます。長い書簡はだいたい7章位に分け、毎日その7章を1ヶ月間繰り返し読み続けます。今日1~7章、明日も1~7章、明後日も1~7章、という具合に1ヶ月です。次の月には8~14章を繰り返して毎日読み続けます。短い書簡と長い書簡で順番に読んでいくと良いかも知れません。例えば、ガラテヤ人への手紙1~6章全部を毎日1ヶ月間読み続け、それが終われば、ヨハネの福音書を7章ずつ読んで3ヶ月で21章全部を読み終えます。この方法で読めば、だいたい2年半で新約聖書を読み終えることができます。

このように聖書を通読することによって、聖書に実際に何が書かれているかを知ることができるのです。その次のステップとして、神が意図して語った聖書の意味を解釈していく必要があります。しかしながら、私たちは聖書が66冊の書簡からなる一冊の本であることを忘れて、一節だけを取り出し全体の文脈を考えずに「聖書はこう教えていると思います」と理解してしまいがちです。その為に、他の人とも、また自分自身の聖書の理解の中で、沢山の相反する見解が生じています。洗礼式の様式や終末論などの二次的な教義なら仕方がありませんが、神ご自身のご性質や福音に関しては異なる理解をすることはできませんよね。ユダの手紙にあるように、聖書で啓示された「聖徒にひとたび伝えられた信仰」を、私たちは自分の理解に従って変えることなく伝えていく必要があるのではないでしょうか。聖書の意味は人の意見や思いに左右されずに、ただ、神が意図して語られたことだけが、聖書の正しい解釈なのです。その聖書箇所の応用は人それぞれ千差万別ですが、その正しい解釈は、一つだけということを忘れてはいけません(イザヤ55:11)。相手を敬って愛するということは、相手の意思を大切にするはずです。それ以上に私たちは、神を知り、敬い、愛する為にも、誤りなき神のみことばを正しく解釈していく必要があります。次に、聖書の解釈をする上で、避ける必要のある三つの誤りを軽く見たいと思います。良ければシェアとフォローをしてくださると嬉しいです。宜しくお願い致します。


参考資料


Englishman River Fall1

Englishman River Fall 2

Englishman River Fallで撮影。雨が降ったせいか、滝に流れる水量が多く、大水の流れる轟を聞くことができました。

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