キリストが要求する、人には到底達成できないスタンダード。私達に望みはあるのか?この簡単な説明から、「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」とマタイによる福音書5章48節から、みことばの糧をビクトリアからお届けします。「みことばの意味がみことばである」をモットーに、聖書は神の誤りなきことばという見解に立つMacArthurスタディバイブルの注釈を日本語訳にしています。良ければ、日本語と英語で、Logos bible appsのイラストと一緒にご賞味下さい。
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奴隷4:奴隷と主人と福音のおろかさ
「私達は神様から見てダイヤモンドのように価値があり、かけがえのない存在です。」これは、ビクトリアにあるプロテスタントの教会の福音の紹介文です。主イエス、またパウロなどの使徒たちが、もしこのような福音宣教をしていたら、果たして迫害を受けたり、十字架の上で殺されたりされたでしょうか?そこには、十字架、罪、さばき、神の怒りなどの福音の核に直接つながる理由は2次的なものとして扱われ、ただ神の愛にのみフォーカスが置かれています。このような福音宣教は聖書に忠実なのでしょうか?この福音の理解が生まれた理由の一つとして、今回はその説明を踏まえつつ、この奴隷シリーズを見ていきます。
1コリント1:17:福音を述べ伝えるために
バプテスマと福音宣教、どちらが滅び行く人のたましいを救う力を持っているのでしょうか?「キリストが私をお遣わしになったのは」と第一コリント1章17節から、みことばの糧をビクトリアからお届けします。「みことばの意味がみことばである」をモットーに、聖書は神の誤りなきことばという見解に立つThe ESV スタディバイブルの注釈を日本語訳にしています。良ければ、日本語と英語で、Logos bible appsのイラストと一緒にご賞味下さい。
奴隷1:聖書の誤訳と真理の隠蔽?
真理の隠蔽?ロシア語では正しく訳されているにも関わらず、英語や日本語の聖書では、あえて誤った言葉が使われている、その誤訳とは。過去500年間の間、多くのクリスチャンの目からは隠されていた真理とは?ギリシャ語とヘブル語の辞書を調べれば明らかになるこの誤りとは一体何か?ここから神とクリスチャンの関係を見直し、福音と聖書全体の理解を深めて行くシリーズの第一回目。祝福となりましたら、是非ともシェアしてくださると嬉しいです!
みことばの糧:ルカによる福音書9章23節
「弟子となること」と「信徒となること」は違うのでしょうか?この簡単な説明と共に、「自分を捨てて...ついて来なさい」とルカ書9章23節から、みことばの糧をビクトリアからお届けします。「みことばの意味がみことばである」をモットーに、聖書は神の誤りなきことばという見解に立つThe MacArthur Study Bibleの注釈を日本語訳にしています。良ければ、日本語と英語で、Logos bible appsのイラストと一緒にご賞味下さい。
みことばの糧:マタイによる福音書28章19節
「伝道」と聞けば、このみことばです。しかし、大宣教命令は一体何を命じているのでしょうか?実は多くの方が誤解されている箇所でもあります。この簡単な説明と共に、「弟子としなさい」とマタイ書28章19節から、みことばの糧をビクトリアからお届けします。「みことばの意味がみことばである」をモットーに、聖書は神の誤りなきことばという見解に立つThe ESV Study Bibleの注釈を日本語訳にしています。良ければ、日本語と英語で、Logos bible appsのイラストと一緒にご賞味下さい。
The Biggest Question by Wretched
私たちは「何故?」という様々な疑問を抱きます。「何故、人は芸術を楽しむの?」「何故、家族があるの?」「何故、働… 続きを読む The Biggest Question by Wretched
聖書の矛盾?罪赦す正義の神?
箴言17:15で「悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする、この二つを、主は忌みきらう。」正しい神が悪者を赦し天国に入れるとは、主ご自身が忌み嫌うことをするのでしょうか?これは聖書の教える最大の「疑問」であり、「矛盾?」となる所です。今回は普段考えないような、この聖書の「何でだろうか?」ということを見ていきます。
聖書の核となるメッセージ
この世の旅路を終えた時、神に「何故あなたを天国に入れなければいけないのか」と仮に質問をされたとすれば、どのように答えますか。
イエス・キリストの福音
キリスト教に初めての方、またクリスチャンとは言ったものの、福音がよく分からないと言われる方の為に作ったものです。イエス・キリストの福音とは。ここから伝道用の十字架ののトラクトを印刷できます。
イエス・キリストを証しする:序曲
証しは、私たちの人生がどの様に変わったかではなく、私たちの内に働かれる神の恵みのストーリーです。